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近代合気道の創始
そのころ、植芝盛平先生は、勇踊、北海道開拓事業のため、北海道紋別(もんべつ)に渡った。時は明治43年、日露戦争の直後であった。 植芝盛平先生は、明治16年に和歌山県に生まれ、もの心ついたころから、武芸家たらんと志したといわれている。幼くして、すでに天稟(てんひん)の才に恵まれた盛平先生が、惣角先生に会われたとき、まだ20代後半の最も屈強さかんな時代であり、そのころにはすでに、神陰流、相生流、大東流、柳生流の各柔術、それに宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)修行をされて、武芸家としても一家をなす人であった。 名人は名人を知るという、偉大な惣角先生は、盛平先生の非凡な不世出の大器を見抜かれたに違いない。以後、植芝盛平先生は、種々の求道辛酸の道を経て、一大開眼され、現代の“和”の武道、合気道を確立されたのである。 武田惣角先生は、昭和18年に北海道で86歳で逝去(せいきょ)された。現在その御子息の武田時宗先生が、北海道網走(あばしり)で「大東館道場」を開き、大東流合気道第26代宗家として、伝統ある大東流合気武道の普及にあたっていられる。 植芝先生の演武は、徒手の場合は、実にやわらかくおだやかで、それでいてその強さは神秘的なほどであったし、武器を使われる時の速さは、神技としかいいようがないほどであった。平素の先生は人生の辛酸をなめてきた人とは思われない温かい人柄で、声も非常にやさしかった。 (後略)
『図解合気道入門』より |
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